ライブ回顧録の第2弾は、1986年です。
実はこの年の4月に社会人になったのですが、
就職したらコンサートには行けなくなると思い、
嵐のように集中してライブに足を運んだのが3月。
でも社会人生活がスタートしたら、
無理すればコンサートが見れることが分かり、
気が付いたら怒涛のように
本数が増えていった年でしたね。
●1986年1月16日 REBECCA 中野サンプラザ(1階24列40番台)
1月18日 鈴木さえ子 PARCO劇場(1階X列11番)【最前列】
2月2日 ハウンドドッグ 日本武道館(2階南東E列10番台)
2月10日 種とも子 草月ホール(1階2列)
2月25日 トンプソン・ツインズ 日本武道館(1階南東A列10番台)
3月3日 ひなまつりコンサート(麗美他)渋谷公会堂(1階3列20番台)
3月4日 杏里 神奈川県民ホール(1階11列40番台)
3月8日 中原めい子 神奈川県民ホール(1階7列20番台)
3月10日 飯島真理 神奈川県民ホール(1階5列30番台)
3月12日 尾崎亜美 東京厚生年金会館(1階G列40番台)
3月19日 中村あゆみ 神奈川県民ホール(1階18列10番台)
4月20日 BARBEE BOYS 日比谷野外大音楽堂(1階C5列10番台)
5月4日 米米CLUB 日比谷野外大音楽堂(1階C9列130番台)
5月26日 白井貴子 神奈川県民ホール(1階15列20番台)
6月26日 種とも子 関内7thアベニュー(1階3列)
6月28日 中村あゆみ 東京厚生年金会館(1階)
6月29日 中村あゆみ 渋谷公会堂(1階)
7月31日 REBECCA 新宿都有3号地(38列30番台)
8月8日 渡辺美里 西武球場(スタンド席)
8月9日 白井貴子 西武球場(アリーナ席)
8月10日 ハウンドドッグ 西武球場(スタンド1塁側5列100番台)
8月31日 中村あゆみ 神宮球場(アリーナ8列80番台)
10月19日 REBECCA 渋谷公会堂(2階22列1桁台)
11月8日 ホイットニー・ヒューストン 横浜文化体育館(2階7列10番台)
11月22日 大貫妙子 ゆうぽうと簡易保険ホール(1階S2列10番台)
12月4日 小比類巻かほる 日本青年館(2階D列20番台)
12月13日 REBECCA 横浜文化体育館(アリーナ3列10番台)
12月24日 エポ 品川プリンスホテル(アリーナC2列10番台)★鈴木さえ子鈴木さえ子さんはマルチプレーヤーだった方で、
ドラム、ピアノ、ギターを始めとして、
ほとんどの楽器が演奏できて、
作詞作曲もしていて、
自分で歌も歌っていて、
しかもとても綺麗な女性アーティストでした。
当時はムーンライダーズの鈴木慶一さんの奥さんでしたが、
(その後に離婚されました)
その前には泉谷しげるさんのバックでドラムを叩いていたり、
日清チキンラーメンの「すぐ美味しい、すごく美味しい編」の
CMソングの作曲を手掛けたり、
最近ではアニメ「ケロロ軍曹」の音楽監督を担当したりと、
かなり多彩な経歴の持ち主ですね。
なおライブは最前列だったので、
手が届きそうなほど近かったのですが、
鈴木さえ子さんが緊張してふるえているのまで見えてしまって、
見ているこちらまでドキドキしっ放しでした。
コンサートであんなに緊張したのは初めてでしたね。
★種とも子ひなまつりコンサートにも出演していたので、
この年だけで実質3回も足を運んだのが
種ともこさんのライブでした。
独特のメロディーラインが気に入っていて、
CDも聴きまくっていましたが、
あの頃の最上のポップスは
種ともこさんの曲だと思っていたのかも知れません。
なおライブでのパフォーマンスは独特で、
衣装も派手で、動きも何だか妙だったのですが、
近くで見るととても綺麗な方で、
美人シンガー路線でもよかったのではないかなあと、
漠然と思っていた記憶がありますね。
★飯島真理坂本龍一さんがプロデュースした1stアルバムを
聴いた瞬間からファンになり、
ようやくライブに行くことが出来たのがこの年の3月でした。
アイドル顔負けのルックスと、
シンガーソングライターとしての確かな実力を併せ持っていて、
当時は新鮮な輝きを放っていましたね。
ただ、
デビューのきっかけになったのは
アニメ「超時空要塞マクロス」のリン・ミンメイ役で、
作中ではアイドル歌手として歌っていたこともあり、
ライブは声優としてのファンも多い感じで、
かなり異質な空間でした。
ライブに足を運んだのは1回きりだったのも、
そんな理由からだったように記憶しています。
★BARBEE BOYS(バービーボーイズ)日比谷野音に初めて足を運んだのが、
バービーボーイズのコンサートだったのですが、
ライブが始まった瞬間にみんな一斉に前に行ってしまうし、
自分は取り残されて後ろで見ていたのですが、
座席の上に立って観るのはOKで、
2列前の方はウイスキーのビンを片手に抱えて
時々呑みながら盛り上がってました。
まさに別世界のような様相で、
軽くカルチャーショックを受けたのを今でも覚えています。
なおライブの方は、
少し前からボーカルの杏子さんが体調不良で
中盤の数曲しか参加しませんでしたが、
それが逆にプレミア感があって、強く印象に残っていますね。
また、
KONTAさんのソプラノサックスと高音の歌声と、
イマサさんのギターの絡みは別格のかっこよさで、
今では浜崎あゆみさんのバックバンドでしか見ることができなくなった
エンリケさんのベースもクールでシビれたのを覚えています。
★米米CLUB東京サミットの厳戒態勢の中で行なわれたコンサートで、
野音までの道のりは警察官でいっぱいでしたし、
空にはヘリが飛び回っていて、
ライブとしては最悪の環境だったかも知れません。
でも、米米CLUBは凄かったですね。
開演の30分以上前に入場したのですが、
すでに掛け合い漫才のような音声がず〜っと流れていたし、
始まったと思ったら、
スクールメイツのような女性陣によるダンスが延々と続いたりと、
奇抜なパフォーマンスの連続に、何度も驚かされましたね。
でも終わってみれば、
ボーカル兼司会のカールスモーキー石井さんの哀愁溢れる歌声、
ジェームズ小野田さんが歌った山本リンダさんナンバー、
何人いるか分からない贅沢だけど確かな技量のバンドメンバー、
そして全編を通して貫かれているサービス精神と、
評判通りのエンターテインメント集団でした。
★白井貴子心温まるポップスに魅力がありましたが、
ロックにこだわって走り続けていたのが、
白井貴子さんでしたね。
当時は山下久美子さんと共にロッククイーンと称されて、
持ち前の明るさとパワーで頑張っていましたが、
西武球場のライブはガラガラで、
応援していた自分も悔しい思いをしました。
また翌年(1987年)もリベンジで西武球場でライブを行ないましたが、
この時もガラガラで、
いつしかポップス路線に回帰していってしまいましたね。
自分は白井貴子さんの前向きなポップロックが好きだったので、
残念な感じがしていましたが、
今ではネイチャーポップスを中心に活動を続けていることを思えば、
西武球場はよい転機だったのかも知れません。
★渡辺美里2ndシングル「GROWIN' UP」のPVを見たとき、
パワフルでソウルフルな歌声に魅了されて、
一気にファンになったのが渡辺美里さんでした。
デビューのきっかけは、
第3回ミス・セブンティーン・コンテストの最優秀歌唱賞の受賞でしたが、
この時のコンテストには、
国生さゆりさん、工藤静香さん、松本典子さん、網浜直子さん
藤原理恵さんも出場していて、
ルックス的にもレベルが高かったですね。
なお渡辺美里さんのライブに足を運んだのは、
西武球場の第1回目の記念すべきコンサートのみ。
堂々としたパフォーマンスに圧倒されながらも、
個人的には親近感のあるライブに魅力を感じていたので、
完璧なステージングに違和感を覚えてしまったのかも知れませんね。
★ハウンドドッグ前年に台風の中で行なわれた西武球場のライブビデオを見て、
そのロックスピリッツに共感を覚えたのがハウンドドッグでした。
疾走感溢れるナンバーを得意としていましたが、
メンバー変更後は壮大なバラードに力を入れるようになり、
ワイルドな魅力は年々減少していく感じでしたね。
自分はロックンロールを楽しみたいのに、
バンドの方向性はポップで一般大衆向けのロックを目指していて、
そのギャップから、いつしか足を遠ざけるようになってしまいました。
ハチャメチャでエネルギッシュなナンバーの中でこそ、
「嵐の金曜日」や「涙のBirthday」といった珠玉のバラードが
輝くと思っていたので、
バンドの方向転換は今でも残念ですね。
★REBECCA(レベッカ)新宿都有3号地は、
現在は都庁が建っている場所で、
あの付近を通ると当時の記憶が蘇りますね。
元々ライブ用の敷地ではないので、
フラットな場所でステージはほとんど見えなかったし、
NOKKOさんの調子もいまひとつで、
何だか消化不良のライブでした。
ただ、
REBECCAを野外で見たのはこの時が最初で最後で、
そういう意味では貴重な体験だったのかも。
緻密な音作りがベースになっているバンドだったので、
ラフな野外は得意ではなかったのかも知れませんね。
★中村あゆみ6/28に行なわれた二十歳のバースデイコンサートは、
今でも忘れられない思い出になっています。
この時は中村あゆみさんに内緒で、
あるタイミングで観客全員がHAPPY BIRTHDAY♪を歌ったのですが、
観客が一体となったコンサートは初めての経験で、
心温まるライブに感動したのを覚えています。
その後、
お気に入りのアーティストのバースデイライブには、
何度も足を運びましたが、
観客がひとつになってお祝いする空間はいつも温かくて、
ライブならではの楽しみだと思っています。
(ライブDVDを見ても、生の現場とは違いますからね)
その後、ますますライブにのめり込んでいった要因のひとつは、
この日の感動を追体験したいという思いからなのかも知れません。
ということで、
1986年は、前年を倍以上上回る28本のライブに足を運びました。
この記録が破られるのは21世紀になってからで、
自分にとって最初のライブ黄金期だったのでしょうね。